「 ローゼンタールガーデン 」
sweden , stockholm
スウェーデンはストックホルムにある庭園です。

なんと言ってもその魅力は芝生の上に寝っ転がっておいしいケーキを食べたり、

ジュースを飲んだり、眠ったり、大きく息を吸ったりしたくなったり、人の手

が入っている場所だけれどもなんだかのんびりしたくなる、そう、庭ってそう

いうものだよなということが体現できる場所です。

北欧のこうした場所にあるものは、きちんと時間が経ち使われ続けてその場所

空気がつくられているもの。そうした時間の経過が感じられる哲学にある気

がしています。

時にそこで学んだものを活かそうとかたちから入りそうになりますが、この質

つくってるものは時間だということを忘れてはならないなと思いつつ、この

心地よい自然と一体となった場所のあり方に憧れと尊敬の念を抱いています。

「 ダーラフローダのとある宿 」
sweden , dala-floda
スウェーデン人の心のふるさとと言われるムーラ地方にある小さな村にある

小さな宿です。 この村にあるDala-Flada Vardshusという宿にはオーナーに

よって選ばれたものが心地よい調和とともにあふれていて、古いものから新

しいものまで混在しながらそれが自然とその場に馴染んでいるという、それ

ぞれのものが少しづつ魅力を発するとても自然体な関係性にじられる心地

よさがあります。

それは雑音のようなもので、分かりやすく受け入れることができるもの以外

のもの、余計なものたちがお互いを補って美しくその場にいるというすごく

弱い関係性です。

  

建築をしていると時に強い世界観を求められます。古代ギリシャの言葉に

建築家は神に代わって風景をつくることを許された唯一の人という言葉が

あります。技術的にさまざまなことが構想可能なため建築は自然と断絶し

て(全てがそうではないですが)人が快適にいるための居場所をコントロ

ールする、というかしてしまう側面が強いのかもしれません。車が通りや

すいように道ができているし、川が氾濫しないように川をかけかえたり、

埋め立てをして建物を建てやすい土地を増やしたり、ブラタモリで今ある

土地が実は人がつくったものなんだということをいろいろ知り驚きました

が、技術的にいろいろできてしまう故にその強い力はいい方、悪い方に働

くのは仕方のないことかもしれません。

 

なにかを動かすには分かりやすいコンセプトが必要とされてきました。そ

してイメージも。かっこいいものやすごいものは世の中にあふれている

ども、実際に期待して見に行くとああ、違うんだなあということはたく

んあって学問としては素晴らしいけれども実体としてのもののあり方とは

ずれが生じていることがあります。

 

この宿で出された料理は実においしかったです。食材は近くで採れたもの

が基本にありどれも新鮮でおいしい。昔目黒にあったビアードでご飯を食

べた時も感動しましたが、食材のあり方でこんなにも違うものかと感じま

した。そしてなんてずれがないんだろうと。その感性は宿のいたるところ

にみてとることができます。自分達がよいと思ったことに素直な選択がな

されていて、スウェーデンと言う国やこの地方で営まれてきた暮らしに対

しての尊敬の念が感じられる、長い積み重ねられてきた時間の中にあって

存在しているというぶれない筋の通ったものが感じられとても心地よかっ

たのを鮮明に覚えています。強さというのはそうしたぶれないことに対し

て本来は感じるものであり、そうしたもののあり方、そこから生まれ出て

くるものが美しさをもっているんだと。

これがここには必要である。そうした自然な判断基準がこの宿には溢れて

いてそれがなんとも心地が良いです。その判断基準はこの宿を営んでおら

れるオーナーのセンスによるものなんだろうなあと思っていました。宿に

泊まった翌日、オーナーにどこに今日は行く予定?と聞かれたので、ダー

ラヘストをつくっている町にバスで行ってみようかと考えていますと言っ

たら、そこもいいけれどもこの村も素敵よ自転車を貸してあげるからぜ

見て回って楽しんできてと言われました。そして、村をぶらぶらしていて

実はそうした自然な感性はこの村にあったものでもあり、この村がいかに

敵な場所か知ることになるのです。

(余談ですが、オーナーご夫婦がほんとうにほんとうに素敵な方で、自然

体でいてこんなに気持ちよく人をもてなすことができるんだと驚きました。

そしてここに行った季節になるといつもこの宿とオーナーご夫婦のことを

思い出します。おいしい料理、美しい庭、民芸品とアートが調和した空間、

人の記憶に美しく鮮明に残るのは、そうした空間を自然体でつくりだす美

しい人の生き方なのかなといつも思います。)

「 ダーラフローダ村 」
sweden , dala-floda
 

スウェーデンから電車に揺られて2時間。Borlangeという町でバスに乗り換

え窓から森や湖を眺めながら40分行くとその村はあります。

以前北欧に来た時にムーラ地方の他の町には行きましたがここは初めてです。

バス停を降りてから予約していた宿に向かうまでに雰囲気が少し違うことに

気づきます。小さな村で敷地には余裕があります。庭はきれいに手入れされ

ていてこの村に住んでる人達の日々の暮らしが丁寧に営まれているのが分

かります。

 

宿の近くにはにわとり専用の横断歩道がありました。道路にも境のようなも

のがありません。最低限の舗装がなされただけの自然な美しい道です。

宿で自転車を借りて村をぶらぶらしていると対岸から牛が4頭のっそりとで

てきて水を飲んでいるといった光景にでくわします。豚や鳥や馬や、狭い場

所に閉じ込められるのではなく土地を簡易に塀で囲まれた場所で暮らしてい

ます。宿で食べたごはんは地産地消ですが、こうした土地の空気を吸ってい

るからなんだなと昔は当たり前だったことにふと気づきます。

 
 
 

暮らすことと当たり前のこと。なにか自然であることはいいことだと思って

いましたが、ここまで素直に時間が流れているのを見るとここにいることが

幸せなことだろうなあとふと感じます。

村を自転車に乗って散歩していると向こうからジョギングしてきた人が笑顔

であいさつをしてくれました。トラクターで畑を耕しているおじさんも、車

に乗ってすれ違った親子も、庭でFIKAしている家族も目が合うと手を振

ってくれました。自分達の住んでいる村が好きなんだろうなあと。

 

ここには新しいものは特にありません。おすすめされたFIKAができる

カフェでは芝生の庭にテーブルと椅子がさりげなく置かれ、みなが思い思

いの時間を過ごしています。お店はおばあさんが一人で切り盛りしていて、

ケーキとなにか冷たい飲み物ありますか?と尋ねたらコルクのキャップが

ついたビンを渡されました。少し酸っぱいベリー系のその飲み物はとても

おいしかった。好きに飲んでいいよというその感覚にこの村はほんとに自

然体だなと心がほっこりしたものです。

その自然体な感覚は村のあちこちに派生しています。対岸の家を眺めていて

ふと思いました。屋根がいろんな方向を向いていて、特に方向性がありませ

ん。日本では冬の日当たりを考えて南面配置が素晴らしいかのように思われ

ています。みんながその恩恵を受けることを考えると団地のような場所がで

きましたが、それは日当たりのことだけにおいて効率がよいだけでした。対

岸に渡ってこの家々を見た時にそれぞれが好きなものに対して家があること

に気づきます。川を眺めるのがきれい。日が当たる方向に開きたい。大きな

木があればそれに寄り添うようにしよう。そうしてできた家の立ち並ぶ姿は

とても親密でした。

 
  

この村を歩いていて、家がこんなに親密だったらなんていいんだろうと感じ

ました。現在、家に求められているものはどこか効率や、性能や、人の感覚

とは離れた部分で物事が進んでしまってます。家を考える時にどうしたらこ

の場に素直に建つのか。丁寧に暮らしを重ねていける家はどういったものか。

そうしたことに対しての答えの断片がこの村にはあったように思います。

散歩を終えて宿に帰りました。ご飯を食べるダイニングから部屋のある棟へ

と行く廊下を歩いていると窓の外に箱に入ったいちごがたくさんありました。

オーナーがとてもおいしいいちごよ、ジャムにするから明日の朝楽しみにし

ていてねと笑顔で話しかけてくれました。

の日の朝、ヨーグルトにたっぷりのシリアルをのせてそのジャムをのせま

した。とても純粋な味です。ヨーグルトはあの対岸にいた牛から絞られた牛

乳からつくられたのかななんて思ったりするとお皿の縁に牛の絵が描かれて

いました。そして、にわとりの絵も。ほんとにあの横断歩道をにわとりは渡

るのかななんて思いましたが、渡っている姿を想像してこの村にまた来たい

なと思うとともに、また来てもこの村は変わってないだろうなと思いました。

積み重ねられた時間の中で人が自然体で暮らしているということ、きっと10

年後も20年後もそういう場所であるということが嬉しくなったとともに、自

分がつくる建築もそういった芯のあるものであって欲しい。そんなことを

の村に来て感じたものです。

「 森の火葬場 」
sweden , stockholm
 

スウェーデンはストックホルム郊外にある墓地です。エーリック・グンナール

・アスプルンドという建築家の仕事ですが、ここには建築らしい目立つ建物は

ありません。ここでアスプルンドがしたことは森と丘をつくったこと。成長し

続ける風景をつくったことです。

 
 

ここにあるものは素直で人の気持ちに寄り添っています。ベンチは少し折れ曲

がることで座った人たちが自然と会話ができるよう。建物内のベンチは壁の一

部が折れ曲がって緩やかな曲線で座る場所ができています。扉などはアイアン

でつくられていて植物があしらわれたその扉は建物の硬さをやわらげます。ま

た、自然の中にある建物ですが小さな庭が存在しており、手の届く範囲の庭は

人の気持ちに寄り添います。

 

故人とお別れする場所は高窓から光が差し込み、静かで厳かな雰囲気です。

よく見ると材料それぞれに質感があります。これがもしペンキで塗った真

白な空間であったとしたら気持ちの拠り所が無くなってしまう気がしま

す。右側の壁が上下で塗り分けられているのも重心を低くし、また上部の

光を抽象的に扱うという作用があることで採用されていると思います。そ

うした質感がどのようにあるべきかは注意深く考えられているので、床の

石には細かなノミの跡があります。アプローチにあった自然なかたちをし

た石の目地に植物が生えている要素と比べると、その石の繊細な表情が分

るかと思います。人の気持ちに寄り添うということは自然をそのまま活

用するのではなく、手の痕跡を残すという点にも見られ、その思考が積み

重ねられたことによるこの空間の質はなんとも言い難い雰囲気に包まれて

います。

 
 

火葬場を後にし、敷地の奥に歩みを進めると森の礼拝堂がみえてきます。

この礼拝堂の内部は円形のドーム上の空間が入っていますが、外観とその

内部の見え方は関係していません。建物の左側に大きな軒下空間がありま

す。この上部に至ってはただの屋根裏でデッドスペースになるのでこの屋

根のかたちはこの場の雰囲気にふさわしいという点において選ばれていま

す。その軒下空間の屋根のディテールがまた興味深いのですが、少し木を

切りっぱなしにしてこの軒下空間に入った時に森と縁を切るような操作が

なされています。樋も普通は動線上に雨が落ちないために設けると思いま

すがここでは側面につけられ特にそういった配慮はなされていません。樋

があるよりかはどちらかと言えば屋根のかたちを大切に考えています。そ

うすることで屋根はこの森の中で強さを持ちこの場の独立性を保つことが

求められていると思います。

建築の納まりというのは、すごく線を細くしたり、規制の見え方に変化を

加えることでその存在感を担保したりするわけですが、どちらかといえば

かっこいいイメージのためにしている人が多いように感じます。アスプル

ンドの建築ではそういった点が全く感じられません。逆算していく最初の

問いがそこに来ただれかの感覚でこの建物はどうあるべきか考えられてい

るというところが常に感じられます。そうなると屋根の構造と内部が一致

するということが建築として美しいといった考えがなくなります。

それはひとつ間違うと装飾的な要素を積み重ねただけになりかねないので

すが、そうならないのはきちんとした問いかけがあるからかなと思います。

 

この火葬場に出会って感じたことはいろいろありますが、一番は目新しい

ものがないけれど心が惹き付けられる、それはダーラフローダで出会った

ものと同じ質であったように思います。

ダーラフローダの村は長い年月を経てその村の感性ができたのだと思いま

すが、この場所もこれから長い時間をかけて変わらずあり続ける気がしま

す。そしてそれをとある建築家が構想し、スタートしたことに意義がある

気がしています。

建築家は神に代わって風景をつくることを許された唯一の人という言葉の

強さに景色を作り変えてしまう怖さのようなものを感じもしましたが、人

の気持ちに寄り添うとでこうした風景があらわれるのであれば、自分も

そういうものを建築として仕事をしていけたらいいなと、背中を押して

らえたような気がしてまたこの場所を訪れたくなったのでした。

「 アアルト自邸 」
finland , helsinki

フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトによって建てられた自邸です。

はじめて訪れたのは秋から冬に季節が変わる寒さが身に染みる時期で、北

欧らしい寒さの中に芽生えた建築の美しさを感じられる時期でした。

初めて訪れた何年か後に今度は草木が生い茂る夏の季節の家の顔も知るこ

とができ、異なる季節においてもこの建築がどういった顔を持ち、どのよ

うな感性でつくられたのか多少知ることができたように思います。

 

アアルトの建築はただ美しいだけでなく温かく静けさがあって穏やかです。

当時の建築はインターナショナルスタイルが中心の白い箱のモダンな建物

が主流でアアルトもその流れに乗ってはいるのですが、この北欧の風土に

根差した建物として独自の建築になっています。同じく、メキシコのルイ

ス・バラガンといった建築家もそうした風土との関係性で独自の建築へと

スタイルが昇華されていますが、どちらも庭との関わり方が密接な建物に

なっているのでそのあたりは建築家の感性によるものなのかなと感じます。

 

リビングダイニングは白さを基本に木や布などの素材が温かみをもたらし

ています。天井に白い梁がでてきて右側にはハンチと呼ばれる接合部の強

度を高めるために部材の厚さを厚くしている斜めの部分がでていたりしま

すがアアルトはそういった要素を隠すことはしません。むしろその要素が

空間にもたらす意味を考えています。ハンチは右側の壁に力がかかってい

るという室内のバランスをつくりますし、白い梁と、庭側に白い柱もでて

いますが、その構造体を見せることでこの場所が室内で囲まれているとい

う感覚をもたらせています。そうすることで、大きな開口部から見える庭

がより印象的に見えるという効果がこの空間ではでています。

アアルトはアスプルンドの事務所で働きたいとその門戸を叩いたそうです。

人手が十分足りていたので断られたそうですが、アスプルンドがもってい

た設計の感性に共感していたのかなとこうした庭から逆算されていった心

地よい空間をみると感じます。

 
  

室内の木枠や階段、細かなところもアールがついておりやわらかさを感じ

させます。木枠はビス留めでその線を消すことはしないですし、階段は

ローリングを短手に張ることで線を増やして親密な感じがでています。

左下の写真の部屋は天井が少し高く他とは違うプロポーションなので壁の

色が少し違っています。天井と壁の取り合い部には底目と呼ばれる目地が

切ってあり、その部屋にとって最適な状態はなにかが実によく考えられて

いるのが分かります。

そして、あかりが温かい。長い冬を家の中で過ごす北欧の建築の特徴です

がこの温もりのある空間にはあかりが欠かせないと思います。ヘルシンキ

の街を夜ぶらぶら歩いているとアパートの窓辺にこうしたあかりが置かれ

て人の暮らしが通りににじみ出てくるといった光景によく出会います。

建築をものに置き換える時にある判断基準が自分の身体性の延長上にしっ

りとあるということ。そして、北欧の歴史の中で地続きにその感性があ

るというところが特徴的なのかなと思います。

 

アアルトは古い民家や建物をよく見ていたそうです。

この屋上の軒下空間の低さなどのプロポーションはセウラサーリ野外博物

館にある民家からも見てとれますし、時代の流れに乗りながらも根底にあ

るものはそうした歴史的な建築物やまた北欧の人が持っている感性という

ところに根っこがあり、ぶれない芯を感じさせます。

 

ローゼンタールガーデン、ダーラフローダの宿や村、森の火葬場、そして

アアルト自邸。北欧には様々な素晴らしい場所や風景、建築がありますが

そのどれもに積み重ねられてきた時間のようなものを感じます。そして、

そこにある人への眼差しがなにより親密でやさしさにあふれています。

自分が建築をする時にいつも考えているのはそうした北欧で出会ったもの

たちがもっていた時間と親密さのように思います。これからもその感じた

ものを忘れず建築に向き合う姿勢がぶれないようにしていけたらと、そう

思ってます。

morimoto_architect