美しいものをなぜつくりたいのか

内側眼窩前頭皮質という脳の部位があるらしい。

関西大学の石津教授によると絵画、写真、彫像、更には自然風景や建築物、人の顔など、ジャンルの違いを超えてその人が「美しい」と感じるものに反応を示すことが分かり「美とは何か」に対する、一つの答え、共通項を見いだしたとのこと。また、満腹になると快感を覚えるが、内側眼窩前頭皮質はその快感にも反応する。つまり生物の基本的な欲求にも関係する部位とのこと。

さらに音楽を聴いた時も同部位が反応するし、「道徳」や「友情」の心の内の美もそうで人助けをする姿に心を寄せるといった際も同部位が、活動を強める・・・とのこと。

建築家といってもいろいろですが、自分がつくりたいものは美しいもの、それはいいうつわを使ってる時の感覚、素敵な絵を見たとき、おいしいものを食べた瞬間、旅先で見た心に残る風景、いい顔をしている人、映画を見た後に見えるものが違って見えること、水が流れているような森の中にいるような音楽の音、まあいろいろな経験が蓄積されてますが脳の同じ場所が感じ取ってるものが別のかたちで今美しいと思って表現できているともしいえるのであれば嬉しいなあと感じたり。

この人、なんか違うなあとか、合わないな・・・とか思うことありますが、おそらくそういった感覚も見てきたものの感性が判断してるのかもしれません。

こうしたことも書かれていました。

ー子どもの落書きと著名な抽象作家の落書きに見える作品を比べて、好みを答えさせる実験がありました。両方とも見た目は落書きに見えるのに、作家の作品の方が「絵の中に目的や意図を感じる」という評価がされました。同じ見た目でも、やはり意志をもって作られた作品には、その目的や意図を伝える力があるのです。ー

家を見に来た時に、この人目利きだたなあという方に褒められると嬉しいもんですが、自分の見てきたこと、感じてきたことの奥行を伝えれたらいいなあと。意思を持ってものづくりをし伝える力があるのであればいいのになあと。

家ができたときに美しいものがある。美しい家に住んでるというのは神経美学という観点からみると生物の基本的な欲求に対して少なからず影響を与えているという考えもあるなあとは思います。家が美しいとなんだか心が落ち着いて暮らせるというのであればなによりだなとは思いますので。吉村順三さんが家は人の仲を良くすることができるんだよと言われてたように思いますが、そういうことなのかなあ。

どうしても左官を塗りたい答えもそこにあるのかもしれません。光と影が自分を支える根幹ではあると思ってますが、それを表現できるものはやはり左官なのかなあと。もちろん、デザイン的に美しいという観点で圧倒的なセンスを持ってる方はたくさんいるし、そうした世界では勝負できなかったなあという想いはあります。ただ、自分が大事にしてきた感覚を積み重ねて今があり、よき理解者にも恵まれ今日もきちんと美しい家だなあと思えたことは自分なりの道を歩めていて、またそういった世界に共感してくれる人たちのために存在できているのかなあと感じた一日でした。かたちよりも私は、よりこころに静かになじむ現象を扱いたいものなので。

ダーラフローダというスウェーデンの小さな村で感じたこととかずっと心に残ってますが、その時の感覚とか、他にも楽しかったこと、嬉しかったことたくさんあるんですけど、いろいろな経験を糧に、美しい家として渡せたらいいなあと思いますねえ。