設計施工のいい建築とは

家をつくる会社ってたくさん選択肢があって、なんとなく近くのとこに頼もうかなあとか、ホームページちゃんとしてるから保証がきちんとしてそうだなあとか、価格が分かりやすく書いてるからその内容ですすめたら安心かなあとか。
自分のところに仕事を頼んでくれる人たちってそういったことよりも、実際に会って話をしたとき、また、ホームページの文章や雰囲気を気に入ってくれてたり、人間性を見てこの人なら大丈夫かなあで頼んでくれてることがほとんどです。
おそらく、そういった点ってわかる人とわからない人がいて、左官をこれだけするとか、材料もいろんな方法で安く手に入れることができないかなあとか、いい建築をつくるために費やしている時間とそのかけた時間が家としてできたときにこんな空気感になるんだという点は説明してもしょうがないので相手に多くを委ねてるなあとも思います。
相手の考えや暮らしも尊重してでてくる空間ですが、この家も一応竣工写真?っぽく撮ったこれらの雰囲気よりも、この前行った実際の生活が始まってる家の方がとっても素敵で、いやあ、こんなにいい雰囲気なるのかあ・・・とひとり嬉しく思っていました。
リフォームということもあり既存部分でどうしようもないところがあっても(何を残すか選別はしていますが)、最後には左官の光と陰で包括できる感じがあります。ほんとにお持ちのものが生き生きとしている。
1階が心地よくて3階まであまり上がらないと言ってましたが、確かに1階の左官の空間ってとても心地よい・・・ほんとに暮らしのためにある空間というか、こういう空気感をつくれるようになってきたんだなあと感慨深いものが。
建築をつくってるからにはいい建築をつくりたいもんで。お金をかけずともきちんとした哲学とその道に沿って生きてきた経緯があれば大丈夫なんだろうなあと。今しているもう一軒も左官が塗られ始めてから空間が生き生きとしてきてますが、ただこうした空気感の左官が塗れるという人間でそれはもう個人の人間でしかなくて、事務所でも会社でもなくて、そういう空間をつくれる人に頼みたいなあと思って仕事の依頼がきたら嬉しいもんだなと思ってます。
なんとなく、設計が左官屋さんに指示してできることでもなく、また左官屋さんがつくりたいと思って設計がなくつくったものでもなく、設計と左官を同時に考えてるからこそ包括できるのかなあとおぼろげながらに感じてきてます。
目を養い手を練れでないんですが、空間を立ち上げる時にきちんと自分の手を介して立ち上げれること。私にとってのいい建築はそこが密接に結びついていて自分が動くことでしかできないということがなんとなく分かってきたので、後は体力次第ではありますが一軒一軒いい建築で信頼に答えていきたいなあと思いますねえ。


