壊れた椅子、旅に出る

とある家で使う予定だった椅子です。座面を支える木のパーツの一部が外れやすくなっていてそこが壊れてるのでいらないとのこと・・・
私はそんなのすぐに直るのになと思うけど、壊れている状態というのが気になるらしい。なんだか椅子が一部不完全な場所があるだけで(別に簡単に直るんだけど)ダメと言われてるようでかわいそうにも思えたので、京丹後の素敵な景色と一緒に写真でも撮ってみようかなと思ってぶらり旅に出ました。(トミタのモデルハウスに置いてみて椅子のある状態の家の雰囲気を見てみたかったのもある、いや、むしろそちらがメインの理由)
ちょっと海の見える素敵な公園があったのでそこに椅子をおろして写真を撮ってみたわけですが、はたから見ると完全に不審者・・・私は風貌も若干怪しいので、公園で遊んでる小学生たち(課外学習?)を横目に、引率の50代くらいの上品そうな女性の先生が横を通りかかった時にぼつりと「素敵な椅子ですね」と穏やかな口調で話しかけてくれたので咄嗟のことで「ありがとうございます」しか言えませんでしたが、なんだかそれはそれはとっても嬉しくなりました。
そう、この椅子はとっても素敵なんです。
結構、朝から暗い気持ちだったんですが、ほんの一言で心がこんなに澄み渡るんだなという気持ちにもなり。その先生のまとっている雰囲気からとっても素敵な方なんだろうなあという感じであったので、そういった方に素敵だねえと言ってもらえて椅子も嬉しかっただろうなあと。
ある人からみたら不完全なものでも、ある人から見たらとっても素敵には見える。物事にはいい面も悪い面もあるけれど、私はこのソファはとっても好きだなあと。自分の性格的なものかもしれませんが、有り余るいい面があれば細かいことなんか気にしなくてもいいのになと思うのかもしれません。
このいい面を見るということ、気持ちの面って家づくりでなによりも大事な部分で、うちのお客さんはそういった点を理解してくれてるのでほんとに働き手としては有難く嬉しいことだなと思ってます。そう、私もいってみればこの椅子のように一部壊れたポンコツ設計士なんだと思いますが、でも、この椅子のようにあの人のつくるものって素敵だなあと思ってもらえてるなら嬉しいんだけどなあと。
ただ、素敵の感覚もいろいろあって世の中には素敵なものって溢れてるんですが、その多くはかたちが優れてるとか、時代の雰囲気に合ってるデザインができてるとか、またそれをつくりだす技術を持ってるデザイナーの方たちとか素敵に見える人はたくさんいるしそういったものや人と比べるとまあなんでもない人間ではあるよなあと思うことしばしば。
でも、凡人なりに、そういった素晴らしいものがネガティブな部分を潰しにつぶして、そういったものを潰す代わりにほんとは大事にしなければいけないものを失ってできあがってることもあるなあとも思う時もあります。できあがったものは洗練されてるし、無駄なものが一切ないかもしれない。ぱっと見は素敵なんだけど、その裏側では筋が通ってないことや人の心が置き去りにされてる場合もあるだろうなと。
私はそういうものがきっと好きでないんだろうなあと・・・この椅子も不完全な部分があるけど、いい面を見てたからきっとその先生にもこの人はこの椅子が好きなんだろうなあという気持ちの部分が伝わったようにも思ってます。プロダクトとして完全で多くの人にぱっと見で素敵と思ってもらえることは大事なのかもしれませんが、私は不完全でもこの椅子のように魅力があるならそのいい面を見たいなあとは思うんだろうと思ったもんですねえ。

