ようやくできるようになってきた・・・
彼は自然やその形態の世界に直接触れることにより、建築自身の形態の模写や無味乾燥な構造主義を避けていった。私はアスプルンドに初めて会った時ですら, 彼の作品のこの印象を生き生きと受けとった。当時, ストックホルムの市庁舎はまだ建設中であった。完成数日前のスカンディアのインディゴ色の劇場ホールに私達はすわっていた。「私はこれを建てながら, 秋の夜と木の黄葉のことを考えた」と, アスプルンドは黄色の照明に照らされた輪郭のないホールを私に示しながらいった。私は, ここに並のスケールでは測れない建築があると悟った。ここでは出発点は感性的生活の数えきれないニュアンスをもった人間であり, そして自然である。アスプルンドの全作品には人間を含む自然との触れ合いが常にはっきりと表れている。アスプルンドの芸術やその諸相について書くことはたくさんあるが, しかしそれらを研究するならば, この自然との直接の触れ合いがその根底にあることを見出すだろう。
『アルヴァー・アールト エッセイとスケッチ』 ヨーラン・シルツ 編 吉崎恵子 訳
『アルヴァー・アールト エッセイとスケッチ』の本にE・G・アスプルンドとの想い出という章がありますが、冒頭で引用した文章はそこに書かれたものです。「私はこれを建てながら, 秋の夜と木の黄葉のことを考えた」という一節が特に印象的なのですが、北欧の建築、また北欧の建築家の感性において好きなものがこの言葉に詰まってるなと感じます。
家を建てるときにそこに住む人、その住み手と話をしたりイメージをもらったりすることや、新築であれば土地、改修であれば既存の建物からいろいろな情報を得て組み立てつくっていくのですが、今回の仕事はそうした経過に加えて朝来という土地の印象がとても色濃くでています。風景が建築に及ぼす影響ってそこまで深く考えたことがなかったのかもしれないなあと、この地に来てなんて美しい土地なんだろうと思った感覚が家によくよく出てるのをみるとなんだか違う世界観を見れた気がしています。
自然との触れ合いがその根底にあるという感覚は直接感じたことはなかったので出来上がった空間を見てこういうことか・・・と思った部分もあり、自分の設計技術がひとつ違うものになってきたなと感じる部分でもあり、いろいろ仕事をしてきた中でそういった感覚がでてくる素地ができあがってたのだなあと嬉しくもあり。
あまりにも現場作業をしたので(朝6時半から~夜6時半までとか・・・ひとりブラック企業)うまいこと写真をまだ撮れてませんがお客さんとほんとに居心地いいねえと話す中でほんといいよなあとしみじみ思いつつ、理想としていた北欧の建築家たちの感性にほんのちょっとだけ近づけた気がしています。
人が暮らす家ですので、見た目だけでなく実のある空間がやはりいいなあと思いますが、自分が考え実践してきたことがようやく実を結んだ気がしますねえ、体力的には1週間くらい引きずってしまいはじめてユンケルを処方してますが・・・これから設計をしていく中で確固たる芯ができたように思います。来年も、この経験を糧にいいものつくりたいもんですねえ。