修学院離宮

京都のお寺や古い建物は手当たり次第大学時代に見て回ってたのですが、この年になって修学院離宮にはじめて行きました。当時は往復はがきを出さないと見れなかったというちょいハードルがあり・・・そこまでして見るものでもないかなあなんて思ってましたが、実際見てみるとこんなにすごかったのかと今までの安易な気持ちを後悔。
五感に訴えかける素晴らしい空間っていろいろありますが、たまたま雨の日ということもあり修学院の水の音はとにかく素晴らしかったです。アルハンブラ宮殿なども水の空間でユートピアという感じがしますが、修学院の一見ふつうの雰囲気なんだけれどほんとによく練られたつくりで感覚から組み上げられたランドスケープや建物って、お金があるからできるというわけでもなく考えた人、またそれをかたちにした人、さらに持続していく人たちの品なんだろうなあと思います。
古いものってそもそも品があるものって多いわけですが、修学院のさらっとしていてやさしいところもある品が感じられる雰囲気ってまさに自分が目指してるものでもあるなあなんて感じつつ、この空間は和なんだけれど和とか洋とか区分する必要性もなく豊かな感性から生まれるものってただただいいなあと圧倒的な感覚を見せてもらった気分です。
部材の寸法や組み合わせ方、細かな手の届く範囲のディテールから庭の中で建物がどう据えられるか、そこに至るまでの経路はどうなってるか(道によって生まれる時間の使い方)など小さい部分から大きな部分まで一貫した感性が感じられて、そうしたブレない感覚って良質なものを生み出すのにほんとに大切だなあと感じさせられました。
建築やランドスケープでバランスってほんとに大事です。修学院は長い時間をかけてつくられたものなので付加されてるようにも思いますが引き算がきちんとされているなあと感じます。長い目でみると作為が感じられるものって空間はしんどくなることがたびたびで、そうした作為がでないようにするためにこうなったらどうかなあ、ああなったらどうかなあを時間をかけて考えていくわけですがこんなに素晴らしいお手本があるなんて・・・でした。
修学院にあるような繊細なバランスは弱さの多様性をどう扱うかという自分自身のテーマとも関係しており建築をする上で生涯をかけて追い続けたいなあというテーマではあります。実務ばかりしてるとついつい物を見ることを忘れがちになりますが実物をみるって大事だなあと・・・また違う季節にも見に行ってこの素晴らしき世界を自分のつくる建築でも多少は表現できたらなあなんて思ったもんですねえ。